2023年「紫苑 sion 〜 東北レポート・・岩手〜」

2023年3月9日
*各写真はクリックで拡大します

例年、3月11日(もしくはその前後)に関東で東北を始め、各地へと想いを寄せる催しものを関東で開催しているのですが、今年は紫苑の代表渡邊が岩手、宮城へと訪れ、今の現地とお世話になった方々にご挨拶することとなりました。
その時の様子を写真と共にお伝えいたします。

2023年3月9日 18時に東京駅で岩手を一緒にまわってくれる役者の一色彩世さんと合流。
そこに東日本大震災のボランティア活動で出会い、今も紫苑を応援してくださっている加藤木さんがお忙しい中、会いに来てくださいました!
3年前の3月11日に横浜で急遽配信で開催した「紫苑」以来の再会となりました。
本当に嬉しい限りです。

そして新幹線で一色さんのご実家、遠野へ。

遠野

遠野はとても思い出深い場所です。
震災直後、岩手のボランティアの拠点として遠野に全国各地からボランティアが集まり、そこから陸前高田・大船渡・大槌・釜石へと向かいました。
早朝、各地へと向かうボランティアさんが整列し、ずらりと並んだバスに乗って出発する光景に心を打たれたことを覚えています。


*2012年にボランティア活動の際の。
キーホルダーは活動した大船渡の施設でプレゼントしてもらいました。

*こちらは宿泊した時の遠野の朝の景色。

東北レポート1日目

3月9日(岩手)

大槌


釜石線と三陸鉄道リアス線に乗って、大槌へ。
大槌は震災後、ボランティアと旅行で訪れ、今回は3回目。

毎回、震災後にボランティア活動でお世話になった阿部ゆかりさんに案内していただきました。毎回、丁寧に車で回ってくださって本当に感謝ばかりです。

上の写真は「ひょっこりひょうたん島」モデルとなった「蓬莱島」です。
震災で甚大な被害を受けましたが、奇跡的にも神社に祀られた弁財天像は津波に流されませんでした。全国から多くの支援金が集まり、弁財天像や参道の修復が行われ、今は島まで足を運ぶことができます。

こちらは震災後の大槌の風景です。


震災翌年の大槌とおらが大槌復興食堂。


大槌の中心地が望める城山公園からの景色(2012年冬)

今の景色(2023年)

目の前に広がる光景に10年という月日を感じつつ、胸が詰まる思いも感じていました。

写真に大きく写っている立派な建物は「大槌町文化交流センター おしゃっち」。こちらでは古里のくらし、自然の紹介、復興の過程(震災を含む)を掲示しており、多目的ホールでは震災から7年間の復興の過程をまとめたガイダンス映像を見ることができます。
ここにも連れて行っていただきました。

城山公園には「希望の灯り」が灯されています。
こちらは神戸の東遊園地に「1.17希望の灯り」として点灯された火を分灯した光です。
繋がりを感じます。
 



釜石

次の向かったのは「釜石」。
いのちをつなぐ未来館「うのすまい・トモス」を訪れました。
震災伝承と防災学習のための施設のこちらを一色さんと一緒にゆっくり回りました。

釜石といえば、「釜石の奇跡」がとても有名だと思いますが、その言葉に子供たちに苦しんでいたことを初めて知りました。
メディアの発信力と影響力の怖さを改めて感じます。

どこからどこまでを走って逃げたかの詳細が展示されており、外に出てから「あのあたりかな?」と見てみたのですが。

かなり、、、とてもとても遠かったです。。。
この距離を走って逃げたことを考えると言葉になりません。

わかりますでしょうか?
津波の浸水高(11m)を示しています。
ここまでの浸水。

そして慰霊碑に刻まれた犠牲となられた方々の芳名。
お一人お一人のお名前がお一人お一人の命。
ただ、黙祷をすることしかできませんでした。

また、この鵜住居地区には震災少し前にできた防災センターのなるものがあり、そこに逃げた多くの方が犠牲になったことも初めて知りました。
津波を想定していない防災センターだったので、地震が起きた際の指定避難場所ではなかったのですが、3.11の震災直前の防災訓練ではそこの会場を使っていたことや、日頃から公民館として親しみがあったこともあり、そこに多数の方が逃げてこられたそうなのです。
建物は屋上に上がることもできない構造で、2階の天井近くまで浸水したそうです。

詳細をここで書くのは控えますが、「防災」と文字が持つの意味や影響を改めて考えてしまいます。

陸前高田

釜石を後にして向かったのは「陸前高田」
6年前から3月の紫苑にて大変お世話になっている陸前高田「ハナミズキの会」の淺沼ミキ子さんにお会いしました。

淺沼さんは震災後、自然災害による人命が少しでも防ぐことができればという思いでずっとご活動をなさり、陸前高田「ハナミズキのみち」の会の代表として津波から人命を守る避難路(シンボルロード)の目印に、ハナミズキを街路樹として植樹すること、絵本を通して震災の教訓を語り継いでいらっしゃいます。

陸前高田「ハナミズキのみち会」のご活動についてはこちらをご覧ください。
http://hanamizukinomichi.com
(活動への寄付もできます)

紫苑では「ハナミズキのみち」と「ハナミズキの願い」を朗読という形で届けるお手伝いをさせてもらいました。
陸前高田にて朗読を担当した一色さんと一緒に3人で対面した時のこと。
あの感覚は何事にも例え難いものでした。
心の奥から込み上げるものがあって、私の目はとても赤かったのではないかなと思います。
優しい笑顔で私たちを迎えてくださる淺沼さん。お会いする前はちょっと緊張していたのですが、それはすぐに溶けました。
そして、大変ありがたいことに淺沼さんのお車で「ハナミズキのみちのシンボルロード」をご案内してもらいました。



2011年の陸前高田(阿部ゆかりさん撮影)

シンボルロードの「ハナミズキのみち」完成記念モニュメントです。
何かあった時にはこの道を辿って逃げることを最初に言われました。
遠くに見える山を見ながら、先ほどの釜石よりももっと遠くに逃げなければいけないことに言葉を失います。

この場所や車の中でも淺沼さんから色々なお話を聞かせていただきました。
「ハナミズキの願い」で何度も読んでいたことを淺沼さんの実際の言葉でこの地で聴かせていただき、陸前高田の今の光景を目にしながら、改めてその時の様子、被害の大きさ、そして淺沼さんの思いが伝わり、実感を持って気付かされることが多くありました。

そしてお話を聞きながら、「ハナミズキの願い」の冒頭で「この数だけ無念の思いがあったと思います。この数の数倍、数十倍悲しい思いを持っている人たちがいます」というフレーズが頭の中で響いていました。

この時はまだ蕾のハナミズキ。次は満開の頃に訪れたいです。

淺沼さん、会ってくださり、そして大切なお時間を使って案内してくださり、本当にありがとうございました。

*淺沼さんからいただいた可愛いシャベルと軍手です。
ありがとうございます!

淺沼さんと別れた後に向かったのは陸前高田の津波伝承館の「いわてTSUNAMI(つなみ)メモリアル」。

こちらの館に入る前に「一本松」と海岸を間近で見ました。

以前、陸前高田にボランティアで訪れた時には遠くからしか見れなかった一本松を間近で見ることができました。
今はこの一本ですが、震災前には7万本もの松林が広がっていた。
防波堤に立ち、新しく植えられた松林(にはまだなっていませんが)と海を望み、そして振り返り、陸前高田の今を見る。
ただただ、その広大さと被害の大きさに言葉を失うばかりです。

「いわてTSUNAMI(つなみ)メモリアル」も心に残る伝承館でした。
津波や被害についてだけではなく、震災直後の救援活動についても詳細が展示されていました。

ここでとても印象的だったのは「遠野」の存在。
内陸諸都市と沿岸市町村を道路網の結節点である遠野では震災後すぐに防災拠点として後方支援活動が始まりました。
私がお会いしたり、お話を聞いたのはほんの一部の方々ですが、津波の被害にはあっていない東北の方が心の奥に「津波の被害が大きい地域の方々にどう思われているか」のような不安感や罪悪感のようなものを持っている話を聞いたことがあります。
実際、日本の多くの方がそんな思いを持っていたのではないでしょうか?(私もです)

ですが、そこに展示されていたのは遠野の後方支援の迅速かつ膨大な活動の数々。
(東日本大震災では震災後の15分後には遠野運動公園の開門を指示し、支援部隊の受け入れを開始。17時40分には岩手県警が集結したそうです)

遠野の、そして全国からの救援、支援を目の当たりにして繋がりを感じ、そしてまた、この展示を見る数十分前に陸前高田の淺沼さんと遠野の一色さんのお母様が抱き合っている場面、そして淺沼さんからの遠野への感謝の言葉を思い出し涙が出そうになりました。

遠野には「3.11東日本大震災 遠野市後方支援資料館」があるそうなので、次は是非伺いたいと思います。

大船渡

岩手の最後に向かったのは大船渡です。
七ヶ浜、東京、横浜の「紫苑」にもゴスペルで出演してくださった大船渡出身の金敷美由紀さんこときんちゃんと大船渡の港を眺めながら一色さんのご両親様もご一緒に五人で足湯に浸かりました。


復興の湯。とても気持ちいいです!
なんと無料!是非。

大船渡自体を回ることはできなかったのですが、いつかきんちゃんと大船渡に来たい&会いたいと思っていたので、ご一緒できてとても嬉しかったです。

関東で3月11日を過ごす時、誰とどんな風に過ごすのかは自分にとって、とても重要で。
思いを共にする方々と祈りの時間を持てることがどれだけ幸せなことなのかと、二人と話をしながら実感しました。


復興の湯から望む大船渡。

朝から怒涛の岩手周りでしたが、私の無謀な願いを叶えてくれたゆかりさんや一色さん、一色さんのご両親様には感謝しても感謝しきれません。

そして淺沼さん。
お会いできてことにただただ感謝です。
きんちゃんに大船渡で会えてゆったりとした時間を過ごせたのも幸せでした。

皆様、ありがとうございました!!
2日目の宮城編に続きます。
宮城編はこちら